ほくりん兄の信仰

私のキリスト教信仰の日常を綴ります。 放送大学大学院 修士課程在学中。関心分野:教誨師史、宗教セクタによる社会福祉史、介護保険受給者認定システム、エスペラント、博物館学、言語行為論

タダだと思うことほど怖い事はない

仲間ができたよ

ある駅前で宣伝をしているJWの方と会話するうち、対応がエスカレーションして、現場リーダー格と思しきお父さんと名刺交換することができた。

ラク

私はもとよりトラクト(宣伝物)に興味があり、今回は夕闇の中にタブレット端末でWebページを移していらしたレディたちに不思議な感じを覚えたのだ。
闇の中に明るいものを見せられても、遠くからだと白飛びしてしまい、何もわからないのだがなあ。

聖書

根掘り葉掘り伺っていると、応対担当がエスカレーションして、エライヒトにチェンジされた。このお父さんとは聖書のあれやこれやで意気投合した。ハレルヤである。

あれは誰の金、それは誰の金

団体や訳が違うとは言え

さて、私が「紙の聖書も電子書籍も大事ですね」と申すと、お父さんも「時代の要請ですね」というような雰囲気で調子を合わせてくださった。ところが、「中高生など、ひろく多くの世代に、とくにミッションスクールでは紙の聖書に親しんで欲しいものです」と申すと、「ああ、学校の前で無料で配られていますね」とおっしゃる。
訳はともかく、このかたは誰の尻馬に乗っているかご存知なのだろうか。 
私は柄にもなく向かっ腹が立った。 

生徒の聖書入手手順

ミッションスクール

学校の宗教科や朝・昼礼拝で聖書を使う必要がある学校において、同窓会や父母会からの余裕があれば献本もあろうが、たいてい学習用の資料として、ご家庭のお金で求めるものだろう。

学校を問わず個人的な献本を受ける

いっぽう、聖書配布協力会や日本国際ギデオン協会は、ひろくクリスチャンからお金を集め、生徒さんたちにまとめて聖書を献本している。

日本人の1%は

日本人の1%と言われるクリスチャンの家庭において、とくにプロテスタント諸派の親や子の家庭では、学校とも外部団体とも関わる前に、教会との関わりにおいて聖書を求めることもあるだろう。

無料の聖書は無い

母語で神の言葉を読める喜びを味わおう。そこにどれだけの費用と献身が込められているか理解しよう。日本語では戦国時代のヨハネ伝「カシコイモノ ゴザル」から始まった。またそのローマ・カトリック全体は20世紀に大きく舵をとり、各国の進んだプロテスタント諸派の聖書とともにあゆみ始めた。
日本の或るプロテスタント団体は、とても小さい教会の群れでありつつ、フィリピン某地区の言語を用いて聖書66巻を訳し抜くことを目標として取り組んでいる。

お店で売る意義

聖書はいろいろな図書館でも借りられるが、皆が自分のものにできるチャンスは維持すべきなのだ。日本なら例えば日本聖書協会が出版を続けることが大切だ。

お父さんはどのように聖書を学んだのか

私が親しくなった聖書の先生、あるいはお父さんは、例の英語訳と日本語訳のみを参照しているのか。磔刑のイエスは頭上に何を掲げられていたのか、そこには気にならないのか。
あるいはそのような学びや聖書、ヘブライ語ギリシャ語・ラテン語について、お金を使うことを惜しんでおられるのだろうか?