ほくりん兄の信仰

私のキリスト教信仰の日常を綴ります。 放送大学大学院 修士課程在学中。関心分野:教誨師史、宗教セクタによる社会福祉史、介護保険受給者認定システム、エスペラント、博物館学、言語行為論

職業

クリスチャンの子育てブログを拝見。あらためて職業・働くことにかんするキリスト者的な枠組みを確認した。

 

「ある大工と青年の面接での話」https://ameblo.jp/petermakoto/entry-12676901706.html

 

ここで牧師が使っておられる、「用いられる」という表現。言葉そのものを大工さんは言って居ないかも知れない。しかし、おそらく大工さんが言いたいことは、そのものズバリだろう。  

 

私たちが職業でイキイキできるのは、必ずしも自分がやりたいことをするからではない。

(だって、自分の夢ファーストなんて言われるから、何をすべきかまだわからない若者が、憔悴しやけっぱちになるでしょう。)

 

若い頃の渋沢栄一は、日本のためには入国した外国人を殲滅すべしと、策略を立てた農民グループから率先して、大坂で煽動に勤しんだが失敗し、泣く泣く平岡円四郎に取り立てて貰い、一橋の家来として働くことを是としたのだ。

 

その結果、最終的に、渋沢栄一の外国人ヘイトは成就したのか?

否。

むしろ、学べるものは外国人から学び取り、日本現有のものは存分に生かして、渋沢たちの力で日本を急成長させたのだ。

 

職業は与えられるのだ。渋沢栄一はあのような偉大な実業家になるべく藍玉生産者の家に生まれたのでもないし、…

日本を守り成長させるために、自らに職業が与えられたのだ。

 

(このようなチャンスを生かすべく、日本国憲法に定められたのが職業選択の自由である。これは稼いだ金で遊び過ぎて絶命するために儲けられた権利ではない。)